さらにこちらでは
説明することができないなら、それは芸術です。
説明を求める者がいなくなったなら、それは流行です。
説明なしに伝わるなら、それはデザインです。It’s art if can’t be explained.
It’s fashion if no one asks for an explanation.
It’s design if it doesn’t need explanation
- Wouter Stokkel
開高健の言葉を思い出す。
「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。」
1988年の同じ日(10月21日)に深津絵里ではなく高原理絵という名前で『マリオネット・ブルー』でリリースするという暴挙に出ています。ファンレターを書く人が困るじゃないですか?
歌う女優たち~Part 3 侮れない深津絵里
(via reiznika)「エントリーするだけで100万円が降ってくる」仕組み、バラ撒きだ下品だと怒る人たちもいるけど、誰しも身近なところで一度や二度は似た体験があるはずなんだよな。我が家の場合は「SMAPが五人で家に来た」なんですけど、あの「降ってきた」感は、まとまった額の奨学金が下りたときより強烈だったな。
家にSMAP来たの、当事者たちは今となっては「あー、来たねー、降ってきたねー」という感想しかないのだが、周囲には今なお私を「家にSMAPが来た人」と紹介して回る人までいたりする。尾鰭がついて成功譚みたいになっている。実際は妹が余りハガキで番組に応募しただけで、物語構造は笠地蔵に近い。
奨学金やボーナスなら「まぁ俺様はこのくらいいただいても当然よ、ガッハッハ」となるけど、笠地蔵みたいな(とくに努力や挑戦をしてないのに突然ワンタイムの福が来る)話って少し違って、実益はすぐ消え、周囲の羨望のほとぼりを待つ時間が長く、やがて誰かの物語の脇役になった感触だけが残る。
正義だ悪だと言うつもりはないが、今ほとんど何もせず100万円当選した100人も、いずれは「あー、あったなぁー」と喜びを反芻するたび謎の虚しさにも襲われるだろう、でもそれわかるよ、自分を責めることないよ、一回大きく当たっとくと以後は変な宝くじとか買わなくなる効能もあるよ、と伝えたい。
変な話、今後もし現在のお一人お一人と外の世界で再会することがあっても「あのときの長女です」と伝えるのは忘れそうなんですよね。結びつかない。そのくらい「五人で自宅に」の衝撃が強かったです。七福神みたいな。月並みですが、アイドルとはすごいものだなと思いました。
そういえば、当時は表に出なかったエピソードとして、キムタク、その日に着てた上着をその場で脱いでうちへ置いてったんだよね……なんか当時小学生だった弟にくれてやる的なテイで。当然しばらく聖遺物として祭壇を設けて祀られていたわけだが、あれ何度思い出しても「古代神話かよ!?」となる。
集合写真を撮るよう薦めたのも柱に背比べの傷をつけたのも記念の品を選んで渡してきたのも全部が五人の神からの発案で、「こうやって神話が生まれるんだな」と感心したし、以後は各地で「天皇お手植えの木」とか見る目も変わった。象徴たればこそ具体物を残すのが大事なんだよな。すごい仕事だな。
(わ、拡散されてる。20年以上前のことだし口頭ではいくらでも裏話できるけど、あれだけ人気のアイドルともなると当時の番組映像が今も手元にあるファン多そうだし、その映像には実家の立地や外観、家族の実名や妹の出身校など普段伏せてる情報が全部含まれるので、抑えめに書いてます。悪しからず。)